The perfect days

6/23に、The perfect daysを観てきた。

すごくよかった。淡々と流れる時間、周りの外国人たちはスマホで時々時間を確認してたけど、私はまったく時間を気にせず気持ちよくあの静かな空間に身を委ねた。

もしわたしがずっと日本に住み続けていたら、おそらくだが、外国人からみての泥臭いリアルな部分を切り落とした美化、というシニカルな視線ばかりだったような気がする。日本で毎日を丁寧に生きる人たち、都会の中でさりげなく感じられる自然、日本の都会のいろんな要素がまじりあって込み入っている、でも安心感のある生活感など微細な部分の描写を尊く思い、胸がふるえた。日本にいる時の絶対的な安心感も、社会に漂うほのかな不安感から来るやるせなさも、双方共に胸にせまって感じられたが、私の感情を投影しているに過ぎないのだろう。

主役の平沢役の役所広司がよい。彼の品の良いたたずまいを選ぶのがやっぱりヴェンダースという気がした。とても無口な人だが、でも話す時もあり、それは感情が昂った時のように見えた。その話す時と話さない時の雰囲気が個人的には予想つきにくく、少しつかみきれない人物という印象だが、父も祖父も基本的に無口だったので、心地よく親近感が湧いた。

一人で古いアパートに暮らし、渋谷区内の公衆トイレを丁寧に掃除して回る。基本的にモダンなデザインの比較的清潔な見た目のトイレたちではあるが、しかし公衆トイレである。たまに手袋もせずにしている作業もある。衛生面の考慮はよこに置くとして、本当に心を込めてやっている時は瑣末なことが気にならなくなることがあるのは私にも身に覚えがあると思った。仕事に貴賎はない。若い頃は清掃の仕事などは、決められた時間の中でこなすルーティン作業の中で、自分の考え方を育てられたり、表れてくる特徴を観察するのに、とてもよいのだろうと思っていたことを思い出した。

仕事が終われば、寝床ともいうべき部屋に帰る。一見、貧困や低所得といった言葉が浮かぶような環境ではある。そして、私は、それらの形容詞から自動的に負の先入観ともいうべき感情、不安、あきらめ、自信や自尊心喪失、屈辱、などを想起させられる。しかし戸を開けてみれば、外の陰鬱さとはうらはらに、本人の好きなもので構成される豊かな空間だ。部屋を清潔に保ち、本を読み、カセットで音楽を聴き、植物を育て、写真を撮る。そういう、住居や職業にとらわれず、自分が好きなことを気ままにすることを人生の中心に組み立てている人もたくさんいる。日本の大都会には、そういう人がのびのびと生きられる場所がたくさんあって、受け止める懐が深いと感じる。世界中どこでもそうではあるが、顔馴染みになれば、話さなくてもゆるく相手の存在を受け止める。彼には、行きつけの銭湯、小料理屋、スナック、写真屋、古本屋、コインランドリーなどがあり、地元に根付いたルーティンを通して、無意識にお互いの存在で支え合っている関係をいくつか持っている。個人的には、特に日本では、いろんな趣味が細かくあり、それに関する情報や本がたくさんあり、さらに興味嗜好ごとにコミュニティが細分化して無数に、そして確固として存在しているので、生きやすいと思う。

主役の本人は規則正しく淡々と生きていても、周りがさまざまな小さな波紋をつくり、それらは彼にも影響して、確実に彼自身にも少しずつの変化をもたらしている。垣間見える家族、特に父との確執。スナックのママの元夫のがん闘病の告白。こういうエピソードで、平沢本人はほぼ何も語ってないけれど、周りの人への対応などで、本人の性格や感情が浮かびあがるのがよかった。

視覚的な日本の陰翳両方の美しさを画面で表しながら、人生の陰翳もすべて分け隔てなく存在させる内容がよかった。平沢が首都高を運転して職場に向かう時、オレンジの朝日が全面に当たっていた。その時の音楽は、昔よく聞いた「青い魚」。感情的になって、当時の感じていた覚えがあるような懐かしさもある気持ちがこみあげてきた。一緒に歌った。最後に木漏れ日について触れられていたが、これは日本独特の言葉で、この映画のコンセプトの象徴なのだろう。世界中の言語の中にはもしかしたらあるかもしれないが、英語では一語で表せず、現象として説明しなければならない。葉の間からこぼれる光という微細な美しさを大切にして、一つの言葉として扱うまでに育てた文化の中で、傍目ではどう見えようとも人生の小さな美しさや喜びを丁寧に感じながら生きる姿が、やはり尊く、人生の陰影をみながら、大切にしたい感情を感じた。

平沢が飲むコーヒーが、ボスだった。90年台に役所が出てきたCMを思い出して、クスッと楽しく微笑める細かい演出。最後のエンドロールのメッセージが素早く流れてしまったが、また次にしっかり見たい。

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