感情の爆発について考えた時に、爆発とは何かの個体の中に入っていたものが外に勢いよく飛び出ていく現象だと思う。中に入っていたものが、個体であった時のように、静かに保たれていれば爆発はしない。何らかの反応があり内容物に変化が起きるか、内容物の容量が限界に達した時に、爆発するのだろう。
個体というのは、それぞれの形、輪郭、容量などがある。自分自身のことでいえば、容姿が自分の形のように思うことが多かった。容姿は内面を反映していることがあるとは思う。でも、他者から見える自分という存在の物質的な形であるだけだ。自分では自分自身の全体を見ることはできない。
自分の形を知るため、内側から探り続けてきた。形は今も明確ではないが、輪郭のイメージはついた。私は、ずっと自分がどこでなぜそうなっているのかわからないまま、何かの海で溺れていたのだと思った。それは感情の海だった。いろんな感情が混ざり合い、波のように襲ってくるのでひたすら逃げる。でも、飲み込まれてしまっていた。波を形成している一つ一つの感情や、それを起こした出来事を理解しない、できないままに。
ある日、溺れているんだと、ふと気づいた。そして、もう浅瀬にきていたのに、ジタバタと溺れていたことに気づいて、立ち上がったら、島に上陸できた。この島の面積こそが、私の心の容量を示し、島の風景は心象風景を描いていると思った。島に上がると安心するように、自分で自分の気持ちを理解することが1番の安心になる。島を探検している。